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最高裁判所第三小法廷 昭和61年(行ツ)121号 判決 1989年7月04日

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人池田良之助、同田川和幸、同吉田恒俊、同松岡康毅、同西田正秀、同佐藤真理、同坂口勝、同中村悟、同相良博美の上告理由について

本件祝賀式典及びこれに伴う本件の公金支出が社交儀礼の範囲を逸脱しているとまでは断定することができず、違法とはいえないとした原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。本件祝賀式典が訴外服部安治の政治宣伝活動として行われたものでないことは、原判示のとおりであり、また、上告人らが住民税を課せられているからといって、そのことをもって右祝賀式典への参加を強制されたものとみることはできないから、右祝賀式典が政治宣伝活動であり、上告人らは住民税の負担という形で右祝賀式典への参加を強制されたことになるとの見解を前提とする所論憲法一九条、二一条違反の主張は、失当である。論旨は、いずれも採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官伊藤正己の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官伊藤正己の反対意見は、次のとおりである。

原判決は、本件祝賀式典について、その費用が金額的にも町予算総額に占める割合でも決して少額とはいえず、内容の点においても配慮に欠ける点がないではないとしつつも、結論において、当該式典をもって社交儀礼の範囲を逸脱しているとまでは断定することはできないと判断しており、多数意見もこれを正当として是認することができるとしている。地方公共団体も社会的に活動している以上、社交儀礼として、社会通念上相当と認められる程度の接待や金品の贈与をすることができ、また功労者等に対して相当と認められる範囲で祝賀、記念行事等を行うこともできるといわねばならないが、公金の支出がこの相当と認められる範囲内であるかどうかは、諸般の事情に照らして総合的に判断されるものであるだけに、具体的な場合に、その判断が微妙なものであることが少なくない。本件祝賀式典に対する公金の支出もその一例であるといってよい。私は、被上告人らに対しややきびしきに失するかもしれないが、原審認定の事実関係のもとにおいて、本件祝賀式典に対する公金の支出は社交儀礼の範囲を逸脱するものとして違法と判断せざるをえないと考える。以下にその理由を述べることとする。

一  所論違憲の主張が失当であることは、多数意見の説示するとおりである。本件祝賀式典は、地元出身の衆議院議員の大臣就任を祝うため行われたものであるが、特定の政党や政治家を利するための政治宣伝活動として行われたものでなく、また住民の式典への参加が強制されたとみるべきでないことは原審の判示するところであり、政治家のための記念式典であっても住民多数の素朴な祝賀の意思に基づいて行われ、住民がその政治的立場や支持政党のいかんをとわずに参加できる行事である以上、これを所論のように直ちに違憲であって許されないものとすることはできない。

しかし、考えなければならないのは、このような式典が政治的な色彩をもつことは否定できないところであり、郷土の誇りとなるスポーツ選手の表彰式典などとは異なり、政治的な対立感情が介入する余地もないではなく、とくに閉鎖的な社会にあっては、実際上参加について心理的な強制の働くことは避けられないことである。このことは当然に記念行事の内容や規模などの決定について配慮されるべきこととなり、それは社会通念上相当かどうかの判断にあたっても無視できないものといえよう。

二  一般に地方公共団体が功労者等のために記念式典を挙行し、公金を支出することが社交儀礼の範囲内と認められるかどうかは、諸般の事情によって総合的に判断されるほかはないが、考慮されるべき事情としては、当該記念式典の目的、効果、内容、規模、公金の支出額、当該地方公共団体の財政規模、従前の慣行、関係者と当該地方公共団体とのつながりの程度、住民の意識などを挙げることができる。

このような見地にたって本件を考察してみると、伝統的な人情にもとづく住民意識の残る町において、本件のような記念式典を行う住民の心情を時代錯誤として一概に却けることは適当ではないし、またこの式典に自治への関心をつよめるという附随的な効果があることもみのがすことはできないが、いかに町とつながりの深い政治家の大臣就任を祝うための記念式典であるとしても、次の諸点に照らすと、本件祝賀式典は全体として著しく妥当性を欠くものというほかはないと思われる。

(1) すでにみたように、本件祝賀式典が政治的目的をもつものということはできないが、その性質上当然に政治的色彩をもつことは避けられず、右式典の企画や挙行については、大臣の政治的支持者のグループの意向がつよく反映していることが窺われるのである。それだけに、このような式典を地方公共団体が行う場合には、その内容、規模及び町の支出する金額について慎重な配慮と抑制が要請されるものと考えられる。

(2) 本件祝賀式典の内容をみると、まず大臣の町役場訪問に際して沿道に多数の園児学童が町の支給した手旗をもって出迎え、昭和五三年一月一四日夜には四〇〇〇人もの町民が参加して町の支給する提燈による行列が行われ、それは町役場から大臣の自宅まで約二キロメートルの道のりを行進し、自宅前で万歳三唱をして解散し、さらに翌一五日には中学校体育館において約一〇〇〇人の町民の参加する立食パーティが開催されたのであり、祝賀を受けた大臣自身もとまどいを感じた態様のものであったというのである。原判示の当該政治家の町への貢献や住民の心情を考えるとしても、右式典の内容は全体として行きすぎたものであり、この種の式典を挙行する場合に要請される配慮と抑制を欠いたものといわざるをえない。

(3) 本件祝賀式典に要した費用についてみると、町費による費用は年間の町長交際費とほぼ同額の三二六万二九三〇円で、町の当時の歳出予算額の〇・一六パーセントに当たり、また村本建設株式会社からの式典のための現物寄付の額を加えると、その額は七〇〇万円近くに達したというのであり、町の財政規模からみて、一政治家の大臣就任を祝う式典に対する支出としては過大なものと評価される。

(4) 町費による式典費用の約八〇パーセントを占めるのは、立食パーティにおける飲食費用であるというのであるが、本来このような費用は各参加者の支出すべき筋のものであり、多数、それも予定したよりも多数の参加者にすべて公費で飲食費をまかなうことは著しく妥当でないというべきである。

以上のように考えると、本件祝賀式典のための支出は、全体として社交儀礼の範囲を逸脱したものとして違法といわざるをえない。本件の町費の支出についてその予算案が町議会の圧倒的多数で可決されていることは、本件支出の相当性についての右の判断を左右するものではなく、また、地方自治法二四二条の二の住民訴訟の対象となる「違法な公金の支出」とは法令の規定に違反する支出をいうところ、議会の議決があったからといって法令上違法な支出が適法な支出になる理由はない(最高裁昭和三一年(オ)第六一号同三七年三月七日大法廷判決・民集一六巻三号四四五頁参照)。

したがって、原審の認定した事実のもとで原判決は破棄を免れず、第一審判決を取り消して、上告人らの請求を認容すべきものである。

(裁判長裁判官 貞家克己 裁判官 伊藤正己 裁判官 安岡滿彦 裁判官 坂上壽夫)

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